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ドリカム「LOVE LOVE LOVE(ラブラブラブ)」の歌詞の意味に関する個人的考察

ドリカムのヒット曲「LOVE LOVE LOVE」は、1995年7月24日に発売されました。ドラマ『愛していると言ってくれ』の主題歌にも起用され、ドラマと共に大ヒットを記録しました。ドリカムのシングル作品としては最大のセールスを記録しています。今回は、このドリカムの最大のヒット曲「LOVE LOVE LOVE」の歌詞意味に迫ってみたいと思います。

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この「LOVE LOVE LOVE」の歌詞は一見すると。
誰もが経験した事のある「好き」という単純な言葉すら口に出来ない。気持ちを、想いを伝えたいけれど、もし関係が壊れたらと思うと怖くて言えない。そんなデリケートな気持ちを歌詞にしたように思えます。


ねぇ どうして すっごくすごく好きなこと

ただ 伝えたいだけなのに ルルルルル

うまく 言えないんだろう…


しかし、果たして、それだけなのでしょうか?

歌詞そのものは、すごくシンプルなんですよね。結論を言ってしまうと、“愛する人の事を想うと、どうして涙が出てしまうんだろう”としか言ってないんですよね(笑)。
曲自体もすごく短いです。歌詞も曲も、ただ短いフレーズの繰り返し。しかし。だからこそ。メッセージがストレートに心(ハート)に飛び込んで、伝わって来るんです。

こんな話をどこかで聞いた事がありませんか?
『“愛”と云う文字の中心に“心”があるが。“恋”と云う文字の下に“心”がある。つまり“下心”がある』
つまり、“愛”と云う文字は、自分の事は考えずにひたすら相手の事を思いやる気持ちの表れであり。“恋”と云う文字は、自分の事を相手に恋して欲しい、愛して欲しいと言う自己中心的な意味なんですね。“愛”と云う文字の中には、そんな気持ちは存在しません。むしろ、自己犠牲の様な想いまで存在するんです。

あなたは、どんな時に涙を流すでしょうか?
悲しい時?
悔しい時?
確かに惨めで自然と涙が滲んで、溢れてしまいますよね。
しかし、そんな哀しい涙ではなく。

嬉しいから。
感動したから。
もしくは。
他人の事を、愛する人を思い浮かべるだけで、優しく温かな想いが溢れて来てしまって。自然と涙を浮かべてしまっていた事はありませんか?


『第三の涙』と云うものの存在をご存じでしょうか?


涙には3つの種類があるといいます

目にゴミが入った時など
物理的な原因で出る涙

喜びや悲しみという
感情と共に込み上げてくる涙

そして
第三の涙

何が起こった訳でもなく

心の深いところで
やすらぎを感じ
周りとの調和や
自然との一体感を持った時

あれ、
どうしたんだろうと
思う間もなく
流れ落ちる涙

そんな体験をしました

チベットの高僧
リンポチェ師の
法話と祝福の会に参加しました。

浄化と結界の儀式の中で

今の自分に
生まれてきてくれて
ありがとう

一瞬でもそう感じることが
出来ました。

今が人生最高に幸せ
だと思ったとたん
感謝が溢れました


※ ブログ『The Sence of Wonder』の『第三の涙』から、
一部抜粋させて頂きました。


このブログの筆者は、
『第三の涙とは、深い自己受容の瞬間』
と結論づけております。


この「LOVE LOVE LOVE」の中で主人公の女性が流す涙は、大切な人を想って流す涙は、管理人には、この『第三の涙』に思えてなりません。なぜなら、“流す”のではなく、なぜか自然と訳もなく“流れてしまう”ニュアンスに聴こえるからです。理性や理屈と云うものを超えていて、絶対的な理由などないからです。

前半は、特定の恋人を想う曲のようにも思えますが。
後半になると、様相が。曲の雰囲気が一変します。
吉田美和さんのソロ・ボーカルの様相が消え、大勢でシング・アウトするコーラスが聴こえて来ます。それと共に、「LOVE」の意味も一変します。もっと幅広く奥深い“人類愛”を意味するように感じてしまうのです。

LOVE LOVE LOVE.png

この「LOVE LOVE LOVE」は一見、恋愛の歌のように聴こえますが。実はもっと広く深い意味を内在しているのではないでしょうか?
根底に流れる精神は、ビートルズの「愛こそはすべて- All You Need is Love」に通じるものがあると思えてならないのです。

前述したブログで紹介した様な崇高な“自己受容”の想いさえ内包した。大切な家族、大切な男性(ひと)、大切な女性(ひと)、大事な親友を思い浮かべて、思わず自然と流れてしまう涙。そんな涙を伴った“LOVE”を表現しているから。
ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」が大ヒットして、今尚、支持され続けてる理由だと思えてならないのです。そうでなければ。


LOVE LOVE 愛を叫ぼう 愛を呼ぼう


多くのリスナーの絶大な共感を得て、コンサートで大合唱など起こらないと思います。今年2015年のワンダーランド・ベイビーズの「LOVE LOVE LOVE」の涙を流しての、みんなと歌った大合唱は、管理人の一生の宝物と言える思い出になりました。

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ここからは管理人の手前味噌ですから、読み飛ばしてしまわれて結構です。

実は管理人は、この“第三の涙”を、今年の五月に体験する事が出来ました。以前から興味を持っていて、一生に一度は行ってみたいと思っていた長野の善光寺の御開帳なのですが、今年幸運にしてその御縁に恵まれたのです。管理人の目的は、七年に一度御開帳されると云う日本最古の仏像の拝観と、御開帳の特別な御朱印でした。回向柱などには、一切、興味がなかったのです。
それが。
無事に本堂の内陣での拝観を終えて、御朱印を授与して頂ける列に並んでいた時。『触るのにも、一時間や二時間待ちは当たり前』と言われていた、本堂の前の大回向柱が殆ど無人だったのです。(一生に一度かも知れない。)そう思った管理人は並んでた列の後ろの方に一言言って列を抜け出して、前立本尊の御身体に触るのと同じ御利益があるとされる大回向柱にタッチして参りました。と言っても最初は何を祈願する心算もありませんでした。神社仏閣は祈願する処ではなく、感謝する処だと思っているからです。
でも、一生に一度の事だと思ったら。

善光寺.jpg

あの世にいるだろう、両親への供養と回向の想いが沸き上がって来て。二人の成仏を願ったら。 ・・・自然と、溢れて来たのです。涙が。
思えば、両親の最期は、実に哀れなものでした。そして管理人は、両親を憎んでいました。何回自殺を考えたか知れません。両親の心ない罵声と精神的虐待ゆえに。
そんな管理人が。
回向柱に触って(もしも、阿弥陀如来さまが、今願う事を叶えて下さると云うのなら)と、生きる気力を失った母と、脳梗塞と癌になって絶望のうちに亡くなってしまった父の、あの世での幸福を祈る気持ちが湧いて来て。それと共に、自然と浮かんでいたのです、涙が。
泣く心算なんか全くなかったから、自分で焦りもしましたし。周囲の方々に対して恥ずかしいと思う冷静な気持ちもありました。ですが、涙はとまりませんでした。
この現世で苦しんだ分、あの世で二人に幸せになって欲しいと思ったら。
そして、自然に。
この世に管理人を産み育ててくれた両親への感謝の気持ちも湧いて来て。
それと共に。
この大回向柱に触る全ての人々の願いが叶いますように、との想いが湧き上がって来て。全国からやって来る善男善女と一体化した様な、何とも言えない高揚感さえ感じてしまいました。
思えば、あの涙は。管理人の“自分自身”と云う存在がこの世に在る事の出来る感謝の涙であり。両親からの呪縛から解き放たれた瞬間の、決別の涙だったのかも知れません。


大回向柱に触るのに待つ時間はゼロ分でしたが。
御朱印の列に一時間半並んで、実際に授与して頂く為に要した時間は三時間だったのは、どーでも良い余談です(笑)

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